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2008年6月25日 (水)

カメラ付き携帯電話の普及と傍観者

ネットでニュースチェックをしていて、とても気になる記事の見出しがあった。

数年ほど前からとても気になっている日本のある現象に関するニュース。

クリックすると、古い友人の名前が・・・。10年ほどご無沙汰していて、どうしているかな?と思っていたところ。(こんな偶然もあるんだな)

そして、そのニュースが伝えるある出来事は、ワタシがまさに数年前から気になっている現象だった。

(「飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに」08.6.25 MSN産経ニュース)http://sankei.jp.msn.com/life/body/080625/bdy0806250910003-n1.htm

先日の秋葉原の通り魔事件でも、不気味さを感じた。

やはり社会現象として既に見逃せないような状態になっていると思う。

☆携帯カメラ(カメラ付き携帯電話)の普及と傍観者の増加の相関性を改めて考えた。

携帯カメラだろうとデジカメだとうとなんだろうと、カメラと名の付くものを被写体(特に人間)に向ける際には、多少なりとも被写体に対する愛や敬意があるべきだと個人的には思っているが、もちろん人にはそれぞれ考え方があるだろう。

また、誰にでも心の中には「怖いもの見たさ」や、「野次馬」的な気持ちはあると思う。

しかし、今の状況は不気味としか言いようがない。

事件の「記録」は必要かもしれない。

それだけに、多くの報道カメラマンは、様々な葛藤の中でファインダーを覗く。

一人の人間としてとるべき行動、自分がその場所にいることの意味、目の前で起きていることを不特定多数の人たちに伝える意味を考えながらシャッターを押す。

携帯カメラの普及は、そうした葛藤のハードルを一気にぶち壊した気がしてならない。

目の前に命の危機に瀕した人がいて、それを救おうとしている人がいる。

極限の状態にある相手の立場を想像する能力や、人としての最低限のモラルは何処に行ったのだろう。

(また、秋葉原の事件では、負傷者や救護者に対する人としてのモラルだけでなく、携帯カメラの撮影に気を取られるあまり、自らの身の安全の確保を見失っている人も存在したのではないかと思われる。

機内での野次馬に関しては、誰かが「いつまでも撮ってるな!手を貸せ」、あるいは「カメラをしまって自分の席にもどりなさい」と声をあげたら、状況は少し違ったんじゃないだろうか。そのような乗客は居なかったのだろうか。機内の野次馬だけでなく、そもそも客室乗務員は何をしていたのだろうという疑問もある・・・。)

人間は、様々な本質や複雑な感情を持ち合わせている。

多くの人間の本質には「怖いもの見たさ」や「野次馬根性」だけではなく、もっともっと素晴らしい本質が沢山あると信じたい。きっと多くの傍観者の中にもあったはずだと信じたい。

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コメント

私もダイビングの絡みで蘇生術の講習を受けた事はあります。でもすっかりさび付いてしまってますね。イザという時にちゃんと出来るか自信はまったくありません。

だからってカメラ向けて写真撮ろうとは思いません。まあ、手を貸すにしてもあまり何人もいても仕方ないですが、アドバイスしてくれる人がいれば、がんばりたいです。

投稿: 塚原 | 2008年6月25日 (水) 23時14分

☆塚原さん
ワタシも以前、日赤講習を受講し、赤十字救急法救急員認定を受けましたが、既に10年以上前のことになってしまいました。
時々知識をリカレントする必要があるかもしれませんね。

蘇生術や救命知識は子供からお年寄りまで全ての人が知っておくべきものだと思います。

手を貸すか貸さないかというのは(正しいと思って)誤った措置をしてしまうリスクもあり、また(先日の秋葉原でも負傷者に肝炎の方がいらしたようで)救護する際に感染症のリスクなども場合によってはあるわけです。

そうしたリスクを考えると、見ず知らずの人に救命措置をとるというのは非常に勇気ある行動です。

ただ何も出来ずに傍観しているのは仕方ないにしても、そうしたリスクをおかしてあえて勇気ある行動をとった方や命の危機に瀕している方に対して、敬意や思いやりの心は忘れてはいけないなと思うのです。

投稿: 渡辺タカコ | 2008年6月26日 (木) 01時25分

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