2012年1月25日 (水)

かたちあるもの

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20年ほど前にモスクワのフリーマーケットで買ったロシ​ア名物(?)グジェリ焼。

可愛いような可愛くないような​(笑) 何とも言えない味があります。

不思議なもので、自分へのお土産(と言い訳しながらあれこれ買い込んだ品)を眺めていると、様々な思い出が蘇ってきます。

当時のモスクワ、激動の時代。

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2011年5月13日 (金)

2011フィギュアスケート世界選手権

4月24日から5月1日にかけて開催されたフィギュアスケート世界選手権。ツイッターやFBで沢山呟いたためか、ブログ更新の間が空いてしまいましたが、このブログは備忘録の意味もあるので、遅ればせながら……。

☆男子は小塚崇彦選手が銀メダル。女子は安藤選手が金メダルでした。

(高橋選手はFSで靴のビスが外れると言うアクシデント、織田選手はジャンプでまたしても「まさか」の跳び過ぎが何とも惜しい……。)

日程の変更で調整に苦しんだり、精神的なダメージも少なからずあったはずですが、日本代表選手が揃って素晴らしい演技を見せてくれたことには勇気づけられました。

そして、やはり一番高いところに日の丸が掲げられたのは本当に嬉しく誇らしいことでした。安藤選手ありがとう!

☆安藤選手、今季の抜群の安定感は世界選手権と言う舞台でも発揮され見事な優勝。

そして、エキシビションの渾身のレクイエム。これまで見た安藤選手の演技の中で一番感動しました。(今季の安藤選手の「心技体」全てが極めて高いレベルにあったことを表していると感じました。)安藤選手は、積み重ねた高い技術を持って自分の心を身体で表現できる本当に素晴らしいスケーターに成長したのだと思います。「心をこめて」滑る選手は多いと思いますが、「心が伝わる」演技をすることは非常に難しいことだと思います。

川口悠子&アレクサンドル・スミルノフ組のエキシビションもまた、「心が伝わる」素晴らしい演技でした。二人が選んだ曲は『いつも何度でも』。二人の芸術性の高い透明感のあるスケートによって、曲に新たな命が吹き込まれたように感じました。きらめく春の光に舞う花びらのような、優しさと悲しみと儚さと美しさが心にしみる演技でした。

☆浅田真央選手のバレリーナのように美しいEXが今回見られなかった&目の肥えたロシアの観客に見てもらうことができなかったのは少々残念

(また、大会中4月29日にタチアナ・タラソワさんの御主人でピアニストのウラジミール・クライネフさんの訃報もありました。どうして悲しい時には悲しいことが続くのでしょう……。)

浅田選手にとっては苦難も多いシーズンでしたが、ソチに向けて収穫も多いシーズンだったのではないでしょうか。

今年2011年のフィギュアスケート世界選手権は、様々な意味で歴史に残る特別な大会だったと思います。

東日本大震災や原発事故の影響で東京開催が不可能となり、一時は大会そのものの開催も危ぶまれましたが、開催地はロシアに変更となり当初の予定から約1カ月遅れの開催となりました。 

代替地に名乗りを上げたロシア。ソチ五輪に向けてのアピールや外交的な戦略もあったとは思いますが、日本への温かい気持ちと、ロシアの底力が随所に感じられた大会でした。

わずか一カ月の準備で世界選手権の大会準備を整えた上、開会式やフィナーレでは被災した日本に向けた激励のメッセージや演出があり、スケートファンとして日本人としてとても心強く感じました。

(開会式ではプーチン首相や橋本聖子さんが出席。プーチン首相の開会宣言では被災者への哀悼の意と日本への激励メッセージがありました。フィナーレでもリンクに日の丸が映し出され、選手たちが日本選手を手をつないで囲むなど、日本に向けた温かい演出の数々。こうしたロシアから日本への激励メッセージが込められた様々な演出を地上波の大会番組内で見られたら良かったのに……。)

☆長い長いシーズンが終わり、ふと気付けば2011年の3分の1も終わっていました……。

素晴らしい演技を沢山見せてくれた選手の皆さんに感謝。やっぱりフィギュアスケートっていいですね!

(以下備忘録メモ)

男子

1 Patrick CHAN CAN 280.98 1 1

2 Takahiko KOZUKA JPN 258.41 6 2

3 Artur GACHINSKI RUS 241.86 4 3

4 Michal BREZINA CZE 233.61 7 5

5 Daisuke TAKAHASHI JPN 232.97 3 6

6 Nobunari ODA JPN 232.50 2 9

7 Florent AMODIO FRA 229.68 5 7

8 Brian JOUBERT FRA 227.67 9 4

9 Richard DORNBUSH USA 222.42 11 8

10 Javier FERNANDEZ ESP 218.26 14 10

11 Ross MINER USA 217.93 13 11

12 Tomas VERNER CZE 216.87 8 13

13 Ryan BRADLEY USA 212.71 12 12

14 Denis TEN KAZ 209.99 10 14

15 Peter LIEBERS GER 205.59 16 15

16 Anton KOVALEVSKI UKR 201.64 17 16

17 Kevin VAN DER PERREN BEL 197.10 15 18

18 Samuel CONTESTI ITA 196.40 18 17

19 Jorik HENDRICKX BEL 188.24 22 19

20 Kevin REYNOLDS CAN 187.23 19 21

21 Paolo BACCHINI ITA 183.13 23 20

22 Nan SONG CHN 176.09 20 23

23 Kim LUCINE MON 171.93 24 22

24 Joey RUSSELL CAN 168.73 21 24

女子

1 Miki ANDO JPN 195.79 2 1

2 Yuna KIM KOR 194.50 1 2

3 Carolina KOSTNER ITA 184.68 6 3

4 Alena LEONOVA RUS 183.92 5 4

5 Alissa CZISNY USA 182.25 4 5

6 Mao ASADA JPN 172.79 7 6

7 Ksenia MAKAROVA RUS 167.22 3 9

8 Kanako MURAKAMI JPN 167.10 10 7

9 Kiira KORPI FIN 164.80 9 8

10 Elene GEDEVANISHVILI GEO 156.24 15 10

11 Sarah HECKEN GER 155.83 12 11

12 Rachael FLATT USA 154.61 8 14

13 Cynthia PHANEUF CAN 152.78 13 12

14 Mae Berenice MEITE FRA 150.44 11 15

15 Joshi HELGESSON SWE 149.08 16 13

16 Amelie LACOSTE CAN 144.76 14 18

17 Viktoria HELGESSON SWE 142.52 24 16

18 Bingwa GENG CHN 140.78 19 17

19 Ira VANNUT BEL 138.28 17 20

20 Juulia TURKKILA FIN 136.68 22 19

21 Cheltzie LEE AUS 133.65 18 21

22 Elena GLEBOVA EST 124.78 20 22

23 Irina MOVCHAN UKR 123.15 23 23

24 Jenna MCCORKELL GBR 121.76 21 24

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2009年6月17日 (水)

久々の電話とモスクワの想い出<その1>

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雪のシェレメチボ。真ん中の超・ショートヘアが私です。

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私は一番右。

ANA時代、オーストリア航空とアエロフロートの共同運航便のクルーを経験した。

機材と運航乗務員&客室乗務員はOSクルー(&ANA日本人クルー3人)。

カルチャーの異なる人たちに囲まれて働くことで本当にたくさんのことを学んだ。また、自社便のパーサー業務などとはまた一味違う責任の重さや、やりがいも感じられて楽しかった。(必要に迫られるので、めきめきと語学力が上がっていく実感もあったし・・・。)

しかし、ちょっぴりハードな一面もあった。

成田→モスクワ→ウィーン→モスクワ→成田と転々とし、そのほとんどがモスクワステイ。

当時(90年代前半)のモスクワは、政情も不安定。国の名前が変わったり、クーデターがあったり、マフィアがドンパチやりあったり・・・。

買い物に行っても買える物は少なく、加えて、チェルノブイリ原発事故の影響が当時ははっきりとは判らなかったので産地不明の食材を現地で食べることへの多少の不安などもあり、日本から水と食料をスーツケースにびっちり詰めて持ち込み、クルールームと呼ばれるホテルの部屋に集まり自炊していた。

ホテルの部屋は冬になると寒く、ペラペラの毛布しかない。おまけに暖房が突然切れたり、シャワーを浴びている最中にお湯が出なくなったり・・・。涙が出そうになることもしばしば。(実際に涙を流した同僚もいたとかいないとか・・・)

ややブルーな気分でモスクワに到着すると、必ずといってよいほどホテルに電話がかかってくる。

「ねぇ、明日ウチにいらっしゃいよ」

ANAモスクワ支店長の奥様だ。

年がら年中自宅に招いてくださり、いつもあたたかい手料理をご馳走してくださったのが(当時の)モスクワ支店長ご夫妻なのだ。

タクシーというものは存在しなかったので、口コミで知られていたいわゆる「白タク」でお宅に伺った。時々検挙されてしまうのか(?)どうしても白タクが見つからないときには家畜運搬用のトラックをヒッチハイクして料金を交渉して乗せて(載せて)もらったことも。牛やロバのようにどこかに売り飛ばされるんじゃないかと不安を感じながら。

話を戻して・・・。

あの頃のモスクワでは食材が思うように調達できるような状況ではなかったのに、支店長ご夫妻は、ボルシチ、中華、手作りパンなどなど、様々なメニューでもてなしてくださった。

また、私なら即刻帰国したくなるような状況を、貴重な体験談として明るく笑顔で話してくださる。目の前で起きたクーデター時の戦闘や強盗に襲われた事など命に関わるような出来事すらユーモアたっぷりに嬉々として話されるので、自分達が感じているモスクワステイの不安や不満や不都合がとても小さなことに思え、ブルーな気分はどこかに吹き飛んでしまう。

そして帰り際には「これ明日のフライト前に食べなさい」と、焼きたてのパンを包んで持たせてくださった。

ご夫妻がいらっしゃらなかったら、モスクワステイはどんなにつまらないものだったろう。

そのご夫妻が最近どうしていらっしゃるのか気になっていた。

今年も年賀状はやりとりしていたので、きっとお元気だろうとは思う。

メールアドレスも知っているのだが、なんだかメールを出すのは違和感がある。

葉書・・・。

時折足を運ぶ銀座の文具屋で買い込んだ中から今の季節にぴったりな柄の一枚を手に取った。

「ご無沙汰しております。お元気ですか。」後に続く言葉が全く浮かばない。

特に報告する近況も無いしな・・・。

○○の候、うんたらかんたら・・・などという挨拶もよそよそしくて・・・。

たった二行。これを受け取っても返信に困るだろうし、暑中見舞いにはまだ早い。あまりに唐突だし謎だよな。むしろ心配かけてしまうかも。

う~む。

悩んだ挙句、電話した。

電話でも結局「ご無沙汰しております。お元気ですか。」以降の言葉が浮かばなかったんだけど・・・。

「あらぁ!タカちゃん!!」とても嬉しそうな元気な声で奥様が電話に出られた。そして、「ちょっと待ってて。ねぇ、あなた、タカちゃんよ!!」

続いてご主人が電話に。

退職後も相変わらず仲良く生活を楽しんでいらっしゃる様子。想像以上に・・・。

「最近、二人で面白いことを始めてね・・・」

えぇっ!?

こちらが想像もつかなかったことを始めていらした。

CMモデル。

OAチェックしないと。

いや~パワフル。

タイミングよく、ご主人の篆刻のグループ展が銀座で開催されるということで、再会を約束して電話を切った。

(なんと、展示場所は、私がご夫妻に出そうと思った葉書を買ったまさにその場所だった。)

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2007年8月 2日 (木)

サブ決まらず

台風の進路がますます気になる今日この頃。

そして北海道行きの準備をほとんどしていない。

サブ機が決まらない。

サブのフィルムも決まらない。

(↑ここまでは毎度の事ながら)

ガイドブックも買っていない。

旅行中に締め切りを迎える連載原稿も書いていない。

(ブログ書く前に原稿書け!って自分で突っ込み入れます)

大丈夫か?!

☆ところで・・・。

韓国公使が北京の病院で点滴後に死亡。ニセ薬の可能性もあるらしい。

何故病院に行ったのかと思ったら、大使館近くの店で買ったサンドイッチを食べたところ、下痢。病院でリンゲル液の投与を受けたという。亡くなった黄氏は、北朝鮮の核問題をめぐる6か国協議を担当していたとのことだ。

何が原因か現段階では全く分からないし、民間人ではないから、原因が分かっても100%事実を公表するかどうか微妙かもしれない。

☆北京で下痢。ワタシも何度かあります。でも現地の病院に行きたいと思ったことは一度もナシ。^^;

世界中を旅したいと思うけれど、具合が悪くなったときの医療体制は、旅人にとってひとつのリスク。

若い頃はあまり考えなかったけど、このリスクを考えると旅先の選択肢が狭まる。

もっとも、医療体制がある程度信頼できそうな場所(もしくはまともな医療施設がある国に短時間で移動可能な場所)に狭まったところで、一生かかっても、行きたいと思う全ての場所には行けないので大した問題ではないのだけれど。200歳まで生きれば別の話だが。

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2006年5月17日 (水)

ダッチ・コーヒー

Ana196blog

GW中、五月病?で死んでましたが、少しずつ復活!

土日は仕事でした。日曜日は大阪に行ってきました。月曜日が仕事だったので、日帰りです。残念。食い倒れたかったよ~。前回の大阪出張では、意外にもうどんが「ハズレ」だったしな~。

グルメ本を入手したので、次回こそ~。

でも、仕事帰りに美味しいコーヒーショップを発見しました。

ふらりと入った淀屋橋駅近くの「holly’s cafe」。ダッチ・コーヒーがナイスでした♪

ダッチ・コーヒーとは何ぞや!?

答え。オランダ式の水出しコーヒーらしいです。

「holly’s cafe」、東京にはまだ無いのかしら・・・。

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2006年5月 4日 (木)

モスクワより愛を込めて・・・

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GWなんでモスクワ行っちゃいました~♪

てなことがあろうはずもなく・・・。ANA時代の写真です。

GWですよ、世間は・・・。ワタクシ、目の前に積みあがったモロモロの積みあがり具合に5月病気味。

逃避です。ハイ・・・。

あれだけスキャンが面倒くさい~~~と思っていたのに、目の前の五月病的山積み加減から現実逃避しているんだかなんだか・・・。過去の写真を掘り起こしてみたり。

多分、最初に一眼レフを買ったのは90年前後だと思う。フライトバックに入れて持ち歩いた。海外で散歩写真。

最初がニコンのF801S、スピードライトが外付けなんで重くて、続けてF601S-QDを購入。ズームレンズを二本買って。

使い方なんて全くわからず、適当に撮っていた。

601QDの欠点は日付が時々とんでもないのが入ってしまうということ。今見ても、妙な日付が入っていて、紛らわしい写真がいっぱい(苦笑)

結構沢山撮っていたな~。当時のモスクワは政情不安の時期もあったし、治安は悪いし、冬は幽閉生活だし・・・。その割に、今見ると楽しげな写真が多いのは若さゆえ?(笑)

あ~、海外行きたい。頑張って原稿書いて、今年こそ行くぞ~(;_;)

さてさて。

GWつ~ことで、若かりしワタクシの客室乗務員時代を初公開しちゃいます!!

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↑新入社員時代。ぴかぴかですね~。これは訓練センターの前です。同期と一緒。私は左から二番目です。

確か、この写真は社内報だったか、成田の支店だよりだったか、そんな誌面にも掲載されました。

誌面であれこれ質問されて、「好みの男性のタイプは?」という質問もされ・・・。

「機内でじっくり探します」とか、そんな感じのことを書いて、「あの記事読んで、一体コイツ、どんなヤツだ?と思ったよ」と後で先輩に叱られました(笑)

う~ん。若かった!!

あぁ、この頃に出会いたかった人が沢山居ます(特に男性)。多分、きっと、この頃のワタクシに出会ったら惚れたと思います(笑)

この制服、好きでした♪芦田淳さんデザインです。

歴代の制服で着てみたかったのは、三宅一生さんのデザイン。意外にも不評だったらしいのですが、私はベージュとサックスブルーの組み合わせや、すっきりしたデザインが好きでした。

さて、このぴかぴかの新入社員が時を経て、こうなります↓

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これは共同運航のクルーを務めていたオーストリア航空便なんです。

一緒に写真を撮ろうよ♪と言ったら、キャプテンがエンジンに乗せてくれました。

ちなみにダンディなキャプテンの肩になれなれしく手を置いてるのがワタクシです(^^;)

ポツンと置かれているショルダーはワタクシの。

この便は、日本人クルーが3人しか乗らないので、何かあったときに対応できるように色んなマニュアルやら自分のメモやらを沢山カバンに詰め込んでましたが。

制服は前の写真に続き、芦田淳さんデザイン。

腰掛けちゃってる機材はA300だったと記憶してます。

空港はシェレメチボだと思います。

というわけで、GWにつき、たまには懐かしい写真もアップしてみました(^^)

写真ってやっぱりいいな~。

じゃ、現実世界にもどります・・・。

はぁ。

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